収束しても終息は無理。これからの世界をどうする?

令和2年7月〜12月(予定)ネット上にて公表 

 2020年、春の兆しとともに始まったコロナ旋風は、日本国内のみならず、地球規模に蔓延しました。吾は先進国なり!と、世界をリードしてきたつもりの国は勿論、核兵器を保有して強がっている国も、新型コロナの前には、無力でありました。お亡くなりになった方のご冥福と、今なおウィルスと闘っている患者さんや、その対応に追われる医療関係者等の方々に対しては、心よりエールを送りたいと思います。

 日本では、不要不急の外出を自粛せよという、強制でもなく、罰則規定もない要請にもかかわらず、よく従いました。これをオカミの言うことには黙って従う日本気質という人もいますけど、単にそれだけではないでしょう。

 認知症を恐れる欧米人が、自分のアイデンティティーがなくなることを一番心配しているのに対し、日本人は、人に迷惑をかけることをまず心配します。これと同じだと思います。個人の責任においてする行為は、何でも自由だという欧米の個人主義とは一線を画すものではないでしょうか。勿論、これは日本だけに限ったことではありませんけどね。
 ただ、銀色の小さな玉遊びに興じることを、どうしてもやめることが出来なかった人々もいたみたいですね。カジノがなくて良かったですね。もっともIR計画の方は、何があっても粛々と進んでいるようです。自然に恵まれ、歴史ある神社仏閣を数多く持つ日本が、なぜカジノ付きのリゾートで銭儲けを画策する必要があるのか、私には甚だ疑問ではあります。

 2020年5月11日の中日新聞に、こんな記事がありました。

 タイトルは「コスタリカ 感染抑止に成功」
 それによると、この国は1949年施行の憲法で軍隊を廃止し(非常時徴兵制はあるみたい)、その分、保健や教育分野に多くの予算を費やしてきたとのこと。政府は既に2月から対策を練り、国内初の感染が確認された3月6日直後から大規模イベントの禁止やテレワークの推奨などを発表。同16日に緊急事態を宣言。国境を閉鎖、学校の休校。そして、外出自粛要請を市民は守り、商店や娯楽施設への出足は8割以上減少したそうな。また、国民の90%以上が医療保険に加入し、未加入者への感染検査も実施したとのこと。「我々の最良のワクチンは、規律正しく教育のある国民と強固な保健制度だ。軍に投資せず、保健や年金、教育に多くを費やしてきたことが非常に重要だった。」と自負しておられます。自粛要請に粛々と従ったのは、国に対する国民の信頼があったからでしょう。

 それにくらべると我が国はどうでしょうか。給付金については迷走し、また、対策について専門家会議に諮問するのは当然のことですが、その内容をあたかもスポークスマンの様に発表し、責任は専門家にあって、国民の解釈に誤りがあると、それば誤解だと嘯く。そうそう、アベノマスクも不思議ですよね。市中にマスクが出回ってから手元に届いても、税金の無駄遣いだと思いますけど、それ以上に、アベノマスクをしていたのがTVを見ると首相だけみたいなのは何故なのでしょうか。他の閣僚は、みんなどこで手に入れたか知れませんけど、立派なマスクをしていましたよねぇ。そして、どさくさまぎれに妙な法案を成立させようとしたし、ま、これもあれも、圧倒的支持を与えた選挙民の自業自得といったところでしょうか。

 一方、今回の騒動では、小池知事や吉村知事を始めとする各都道府県や市町村のトップが、何人もメディアに登場しました。その施策には賛否両論があるかもしれませんけど、様々な地方の取り組みがクローズアップされて、とても興味深く拝見しております。初めてみる顔も多かったですしね。
 小松左京の小説に「首都消失」というものがあります。突如、東京から半径30キロが外からの交通、通信、電波が遮断されるというSF小説で、映画化もされました。政府が機能不全に陥ったとき、大活躍するのが「全国知事会議」でした。私はこれを思い出しました。勿論、直接選挙で選ばれる知事さん達は、対応を間違えれば次がどうなるかわからない、という危機感がないとは言えないかも知れませんが、それぞれアイデアを駆使し、国以上の対応をしているように思います。

 さて問題は、これからの世界です。
 コロナ禍は、収束しつつあります。でも、終息は、まだまだ先の話でしょう。第2波第3波も心配です。特効薬さえない現在、天然痘のように撲滅することは、まず無理です。MARSもSARSも、ワクチンは完成に到りませんでした。最近は、コロナウィルスとの闘いとは言わず、コロナウィルスとの共存という言葉が使われるようになりましたね。
 
 徹底的な感染防止を図るためには、感染経路を明確に把握する必要があることから、個人の行動をトレースできるようにする国も出てきました。また、自粛では生ぬるいと、強権力を求める声もあります。自粛警察とかマスク警察なんていう、それが正義だと思い込んでいる人々も出てきました。ヒーロー気取りなでしょうか。やなせたかしは、「真のヒーローは、自分を犠牲にして他人を助ける人だ。」と言いました。アンパンマンは、まさにそれを具現化したものだったのです。

 コロナウィルスが流行りだしたから、カミュの「ペスト」等の古典、あるいは感染やウィルスによりパンデミックとなる小説や映画が、クローズアップされてきましたが、本当に恐ろしいのは、ジョージ・オーウェルの「1984年」みたいな監視社会、あるいは、映画マトリックスで描かれたように、仮想現実の中で、平和だけど、ただ生きているだけの世界に、知らず知らずに移行してしまうことだと思います。そうならないためには、かなり強固な個人個人の意志が必要かもしれません。

 兎にも角にも、とりあえず新しい生活様式に変われと言われていますが、これは社会の一大転換期となるかもしれません。
 娯楽の中心だったTVも、出演者は、笑点でさえ採用しだしたリモート参加が一般的になりました。NHKでは、登場人物が面と向かって顔を見合わせることなく、テレビ電話の会話だけで進行するドラマを作成しました。意外に面白かったのですが、これも新たな形式への模索ですね。
 コンサートやスポーツを含めた各種イベント、ライブハウスや大規模なお祭り等は、これまでと同じように実施することは困難となるかもしれません。最初から観客席の半分以上を制限するようでは、興業的に成り立たないでしょう。

 学校教育も変わるでしょう。9月に新学期をもってくるというのも、賛否両論があり、それぞれ問題があるようです。そもそもグローバル化に伴ってと言う理由には、私はもともと疑問に思っていました。なぜ世界に合わせる必要があるのかなぁ、向こうがこっちに合わせるような社会になろうという気概はないのか?と前から思ってました。そしたら、「ホンマでっか!?TV」の中で、武田邦彦教授は「今世界で9月入学としている国は、これから落ち目になる国ばかり、合わせる必要はない。」と叫んでおられました。う〜ん、それも言えるかもねぇ。

 また、今回の休校で、リモート授業も数多く行われました。私自身は、某大型コンピュータの研修で全国規模の講習を何度か受けたことがあります。その講習は、東京会場で講義されている講師から、「名古屋会場の〇〇さん」と呼びかけられるスタイルで、答えられないと全国に恥をさらすことになり、それなりに緊張して受講していたことを思い出します。
 しかし、これは予備校や大学、あるいは特別な講習なら良いですが、特に、小学校などは、単に知識を詰め込むだけの教育ではありませんよね。知識以外の集団の中で学ぶことの方がより重要でしょう。でも、教室に入る児童数に制限がかかるとなると、今以上に先生が沢山必要になるかもしれません。
 
 一方、計画的に消費活動をすることが推奨されることから、もうこれからは、経済第一主義、消費こそ世界を回すという考え方は、必然的に通らなくなるでしょう。旅行や観光も以前のようなスタイルでは難しくなるかもしれません。
 ソーシャルディスタンスにしても、2メート以上互いに距離を取り、食事は向かい合わせではなく、隣り合わせでせよと言われてます。これから結婚相手を見つけようとする人は、どうすればいいのかねぇ。
 また、在宅勤務によりテレワークが推奨されましたけど、これにより本当に有用な社員の洗い出しができたという話もあります。そもそも人材派遣会社の「人材」という言葉が嫌いです。労働者をあたかも材料のように言い表していませんか?材料ならば、代替可能なのは当然です。本来ならば「人財」と言うべきでしょう。

 一方、費用対効果を錦の御旗に、効率化を目指して人員削減を実施してきた行政機関や民間企業、あるいは、経営の合理化を目指して進めようとした病院の統合等も再考する必要がありますよね。いかに金があろうとも、医療用マスクや医療用防護服、はてはPCR検査に用いる綿棒がないなんて、よくもまぁ、先進国でございますと言えたものだと思います。

 使われていないものや余っているものを、無駄ととるか、余裕ととるか。これから考えていく必要があるでしょう。
 さらに最近ようやく目を向けられるようになりましたが、実際には、暇で暇で仕方ない医師の皆さんも沢山おられます。専門分野に細分化された医学の世界なので仕方のないことかもしれません。定期的に通院している方やその付き添いに行かれている方は実感されているでしょうが、明らかに自粛期間中は、大病院も個人医院も、とても空いておりました。総合病院等も、今後の病床確保のためベットを空けておくよう要請されれば、当然、経営にも影響してきます。その一方で、看護や介護に携わる人は、疲労困憊で働いてきたわけで、医療分野における効率化も見直す必要があります。

 休業補償については、喫緊の課題であり、赤字国債でも何でも十二分に対応する必要がありますが、これらはすべて後世の人々に対する借金となります。どのような社会をこれから目指していくのか、第2波、第3波が来る間に真剣に考えていく必要に迫られいるわけです。
 緊急事態宣言が解除されて、何も変わらないママの状態に戻っていては、元の木阿弥となります。
 その為かどうかはわかりませんが、マイナンバーに銀行口座等を紐付ける案が出てますよね。今は、利子にだけ税金がかかってますが、これで元本に税金をかけることが可能となりますよね。まぁ、そうなれば、一斉に銀行から預金を引き出して、タンス預金にしますわな。どうせ雀の涙程しか利子ついてないもんねぇ。

 欲望にとらわれてきた我々は、本当に自由なのか?(う〜ん、カント的?)と説く、マルクス・ガブリエルは、「倫理資本主義」を提唱しておられます。彼の言う倫理とは、とても簡単なことで、「あなたは、もしかしたら私だったかもしれない。」との立場に立つことです。
 これは、ブレイディみかこ著「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」にも出てきた「これからは、エンパシーの時代」ということにも通ずるものでしょう。シンパシーだけでは、ダメなのです。

 人は、幸せになるために生まれて来た、と誰もが言います。人によって幸せの基準が異なることが悲劇の源なのかもしれませんが、NHKの番組「ドキュメント72時間」のエンディングにおいて松崎ナオが歌っているように、「幸せを守るのではなく、分けてあげたい」と誰もが思えば、分断も差別もなくなるかもしれません。
 さだまさしがTVで話していましたが、「コロナは宇宙戦争です。それに対抗するためには、地球人が争っている場合ではない。」まさしくそのとおりで、米中のトップに聞かせてあげたいですな。

 とまぁ、ここまでは真面目な話なのですが、次はちょっと、もしかしたらと思っていること。

 欧米に比べ、日本が圧倒的に感染者や死者が少ないのは、世界の奇跡と言われているとかいないとか。
 日本人はマスクを付けることに抵抗がなかったとか、握手やキス、ハグの習慣がなかったとか言われてます。勿論、検査数が少なすぎるという点もあります。ても、ひょっとするとですよ、スーパー等の過剰包装が一役買っているってことはないですかねぇ。過剰包装については、外国人が日本で住んでみると、誰もがビックリするとのことですよね。
 買い物に行くといつも思うのです。肉や魚を始め、果物や野菜まで、すべてトレーやラップでくるんであります。ゴミは出るし無駄なこと、この上もないのですが、ひょっとして、ひょっとしませんか?諸外国と決定的に違うことではないですか?
 こんなことは、レジ袋を廃し、リサイクルを推進するという環境問題に敏感な風潮に反しますから、専門家は言えませんし、研究もしないでしょう。煙草に有用な成分が見つかったとしても発表できないのと同じで、今時、世相に反することをいったら、潰されるでしょうからね。でも、ひょっとしてってことはないですかねぇ。



(ねむり姫 61歳)